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◇「医師 中村哲の仕事・働くということ」(2021年) アフガニスタンとパキスタンで病や戦乱、そして干ばつに苦しむ人々のために35年にわたり活動を続けた男がいた。 1984 年に医療支援をスタートし、干ばつ対策用の井戸や用水路建設、農村復興へと活動を広げた中村哲医師。その歩みは 35 年に及んだ。 「私たちに確乎とした援助哲学があったわけではないが、唯一の譲れぬ一線は、現地の人々の立場に立ち、現地の文化や価値観を尊重し、現地のために働くことである」用水路建設では自ら設計図を引き、重機を運転し、泥にまみれて一緒に作業する。その作業には貧しさゆえにタリバンに参加していた農民も参加していた。「己が何のために生きているかと問うことは徒労である。人は人のために働いて支え合い、人のために死ぬ。結局はそれ以上でもそれ以下でもない。」 荒れ果てた大地は蘇り、農作物は実り、65 万人の生活を支えている。 中村医師は言う「これは人間の仕事である」 企画・提供:一般社団法人 日本社会連帯機構/日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会 語り:室井滋 朗読:塚本晋也 配給:一般社団法人 日本社会連帯機構/日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会 |
◇「Workers−被災地に起つ」(2018年) 誰もが不安を抱えるいまだからこそ、見えてくるものがある。 ワーカーズコープ(協同労働の協同組合)による東北被災地での取り組み Workers ワーカーズ 高度経済成長の終焉から半世紀。 急激な人口減少社会、ますます広がる貧困や格差は、否応なく私たちに様々な価値観の転換を求めています。 そんななか起きた2011年3月の東日本大震災—それは、被災地のみならず、いまを生きる私たちに、あらめて「これから、どう生きていくのか」という問いを投げかけました。 本作は、これまで長きにわたり、競争、効率、自己責任…ではなく、持続可能な社会への仕組みづくりを地域の人とともに模索・実践し続けてきたワーカーズコープ(協同労働の協同組合)による東北被災地での取り組みを22ヶ月間にわたって記録したものです。 変わりゆく東京の下町でのワーカーズコープの取り組みの様子を描いた「Workers」(2012)に続く、ドキュメンタリー第2弾。 2018年/89分/ドキュメンタリー 監督:森 康行 企画:田中羊子 横山哲平 ナレーター:山根基世 配給:一般社団法人 日本社会連帯機構/日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会 制作著作:日本労働者協同組合(ワーカーズコープ)連合会・センター事業団 ▽東北でのWorkers物語 映画では語りきれなかった物語がたくさんあります。 東北での7年間の活動がミニ冊子になりました。 地域の底から社会をつくる 被災地でともに歩んだ7年間:2011-2018 |
◇「Workers ワーカーズ」(2013年) みんなで働く、みんなで生きる 新しい働き方、のはなし Workers ワーカーズ 労働者や使用者といった区別をなくし、ひとりひとりが出資して平等な立場で事業、経営に参加できる協同組合「ワーカーズコープ」を通して、人々の間に生きがいや絆が生まれていく姿を追ったドキュメンタリー。東京都墨田区でワーカーズコープにより運営されている児童館や高齢者施設、ケアサービスなどにカメラを入れ、「小さな共生社会」を作る新しい働き方について探っていく。 みんなで働く、みんなで生きる 新しい働き方、のはなし Workers ワーカーズ 配給:映画「ワーカーズ」全国上映普及委員会 劇場公開日:2013年2月2日、2012年製作/94分/日本 監督・森康行 プロデューサー 川邉晃司 成田誠 企画:永戸祐三 原案:永戸祐三 撮影:西島房宏 編集:古賀陽一 音楽:加藤敏樹 音響効果:八重樫健二 ナレーター:宮崎美子 ショートコント:松元ヒロ |
◇高齢者協同組合提供のテレビ番組づくり(1999年) 元気老人アワ――TV東京で放映(1999年4月より半年間、土曜日朝6時15分~30分) 元気老人アワー 第1回――おばあちゃん劇団“ほのお” 全員が70歳以上のおばあちゃん素人劇団の奮戦記 (4月3日放送) 第2回――宇野流福祉学のススメ “歩く福祉”といわれる地域で活躍する宇野さんの日々。(4月10日放送) 第3回――お転婆ばぁの熟麗の日々 塩月八重子さんの人生哲学を密着取材。(4月17日放送) 第4回――ジャン荘は再びの青春 朝10時から4時まで健康マージャン荘は元気な高齢者で熱気ムンムン。(4月24日放送) 第8回――『心の居酒屋』の一日 志村坂上にある『心の居酒屋』は、従業員がすべて高齢者だ。おばあちゃんの手作りの料理が好評を博している。心が落ち着けるこの店。お客が絶えない24時間営業『心の居酒屋』の一日を追う。(5月22日放送) 第9回――地域医療と協同の心――リハビリテーションセンター 鹿教湯病院の市川先生のめざす地域医療と協同の心とは・・・(5月29日放送) 第10回――ヘルパー感動物語 高齢協の主催するホームヘルパー養成講座を受講した生徒と実際にヘルパーの活躍を東京町田で取材。(6月12日放送) 第11回――91歳のボランティア 新潟県十日町に住む生越伊三郎さんは、御年91歳。彼は、健康に留意し特養ホームで高齢者の介護のボランティアを10年前から続けている、その活躍ぶりを描く。(6月5日放送) 第12回――葬送行進曲 自分の最後をどう考えるか。その時納得して死を迎えたい。そうした思いから生前葬を催した、竹田さんを中心に描く。(6月19日放送) 第19回――ほのぼの夫婦のあったかい街づくり 夫婦、不思議な一組。町の活性化を願う熱い想いがあふれる東京足立区の東和銀座商店街のほのぼの夫婦のあったかい街づくりを紹介。(8月7日放送) 第20回――彩りを配る沖縄の配食サービス お年寄りの方たちから好評な沖縄県高齢協が行う配食サービス“配彩”を紹介。配達スタッフの湧上さんは笑顔を絶やさない。(8月14日放送) 第21回――まほろばの里に輝くみどり・農民詩人星寛治さんの生き方 農民詩人星寛治さんとまほろばの里の魅力を追う。(8月21日放送) 第22回――アルプス工房だより 金子績治さんは事故で胸から下が麻痺してしまった。車イスの生活から人に役立つ楽しい道具たちがアルプス工房から生み出されていく。(8月28日放送) ◇注記 この番組は「100万人の高齢協」をめざして発信されたものです。早朝時間帯にもかかわらず、視聴率は2%に届くまでになりました(この時間帯のTVスイッチONは25%といわれております。ちなみに同TV局の「人間劇場」は、夜10時台で4%といわれていました)。 |
◇映画『病院で死ぬということ』(市川準監督、1993年7月24日公開、制作実行委員会、主婦の友社、センター事業団他・岸部一徳 山内明 塩野谷正幸 七尾伶子 石井育代 橋本妙) ◇解説 ガン告知を受けた患者たちの闘病の日々を、彼らと接する家族や医師らの姿を交えながら描き、ターミナルケア(末期医療)の問題をとらえたドラマ。山崎章郎の同名原作(主婦の友社・刊)をもとに、「ご挨拶」の中の一挿話『佳世さん』の市川準が監督・脚本。患者たちの姿はフィックスで据えたフルサイズのベッドの映像で終始描写され、随所に人生のイメージを四季にわたり追った映像がはさみ込まれていく、ドキュメンタリー的な手法で描いていく。キネマ旬報ベストテン第三位。 1993年製作/100分/日本 配給:オプトコミュニケーションズ 劇場公開日:1993年7月24日 ![]() ◇あらすじ ターミナルケアに取り組む山岡医師の抱える四人のガン患者とその家族が登場する……。川村健二老人(26歳)の病室に妻の秀子が入院してきた。だが川村は大腸ガンであったのに対し、秀子はこの病院では手掛けていない肺ガンであり、彼女はやがて他の病院に移っていく。息子たちは父の願いを聞き、ある日彼を妻のいる病院へ連れていく。たった三〇分の再会であったが、それは家族にとって忘れられないものとなった。野村(42)は自分の病名を知らず入院し、手術によりガンを取り出すことも出来ないまま、いったん元気に退院した……。池田春代(60)は最初見舞いに来る慎二や和子ら子供たちと明るく語り合っていたが、二度の手術を経て、入院生活が長くなるにつれわめきだすようになる。そんな彼女に山岡は真実を告知する。春代は自宅に帰りたいと言い出すが、その遺志を山岡は尊重した……。身寄りのない行き倒れで入院してきた藤井はかなり進行した食堂ガンだった。彼の遺体は市のケースワーカーが引き取っていった……。やがて野口が再入院してくる。野口も妻の容子ら周囲に当たり散らすようになる。だが山岡に望んで真実を告知された彼は、徐々に冷静になりいったん自宅に戻った。そして子供たちにも全てを話し、充実した時を過ごす。自分が近いうちに死ぬのはもう少しも怖くない、ただ子供こちのために、一日でも長く生き延びたいと山岡に語り、手術を依頼する……。 ![]() ▽スタッフ・キャスト 監督:市川準 脚本:市川準 原作:山崎章郎 企画:永戸祐三 千葉茂樹 製作:伊藤宏一 関谷省吾 塚本俊雄 プロデューサー:里中哲夫 撮影:小林達比古 美術:間野重雄 音楽:板倉文 録音:橋本泰夫 照明:中村裕樹 編集:渡辺行夫 助監督:森宏治 スチール:坂口正志 山岡医師:岸部一徳 野口敏夫:塩野谷正幸 容子:石井育代 川村健:二山内明 秀子:橋本妙 池田春代:七尾伶子 藤井徹:田村廣 シナリオ制作:シーアンドシー出版 受賞歴:第17回 日本アカデミー賞(1994年) ノミネート:助演男優賞 岸部一徳 |
◇労働とは何か?! 労働が資本を雇うとは何か?! 中学生の萌芽期から、全学連運動、事業団運動、協同労働運動という歩みの中で、働く者の自立性、主体性、主人公性を追求してきた永戸祐三。その格闘の軌跡とこれからを語る。 資本主義企業―「雇用労働、従属労働」万能ともいえる社会にあって、労協―「協同労働」という世界を生み出し、法的存在にまで高めてきた私たちの運動は、本当に「地べたからの、労働の原点からの革命」「協同労働革命」ともいえるものであり、「従属労働」の中にいる労働者にも、主体者への道を呼びかける力を持ち、人類存亡の危機をもたらしている「もうけ本位の資本主義体制」を転換する運動にもつながっている。(「はじめに」より) ◎著者 永戸祐三(ながとゆうぞう) 1947年 京都府竹野郡下宇川村袖志で生まれる 1968年 中央大学夜間部法学部入学、69年夜間部学生自治会委員長 1973年 全学連(全日本学生自治会総連合)委員長 1982年 中高年雇用・福祉事業団全国協議会事務局長 1995年 労働者協同組合連合会理事長(2009年2度目) 2012年 日本社会連帯機構代表理事 |
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Yuuzou Nagato
▽埼玉県越谷市在住
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[略歴] 永戸祐三(ながと ゆうぞう)
1947年8月23日 京都府竹野郡下宇川村袖志(現在、京丹後市丹後町袖志)で生まれる。
1954年4月 下宇川小学校入学。
1960年4月 丹後町立下宇川中学入学、憲法の全文を覚える。勧誘された野球部を断念、音楽部入部、「海の日」に三人で“ストライキ”、二年で生徒会長。
1963年4月 京都府峰山高校入学、下宿生活(休日は農作業)。二年時、「生徒諸費」値上げ、一括払い強制に反対し、生徒総会、ストライキ一歩手前。
1966年 日動火災海上保険会長から養子の話。
1968年 中央大学夜間部法学部入学。自治委員、法学部全体中執、12月「常置委員会」撤廃闘争で全学ストライキ。
1972年 全学連(全日本学生自治会連合)中央執行委員、7月全学連副委員、73年3月全学連委員長代行、7月全学連委員長、11月日本共産党第12回大会で挨拶。74年7月全学連委員長退任。
1975年4月 稔理府労働組合連合会書記。
1977年1月 全日本自由労働組合本部書記。1981年10月全日本自由労働組合中央執行委員。
1982年3月 中高年雇用・福祉事業団全国協議会事務局長。
1987年12月 中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会センター事業団専務。
1995年5月 日本労働者協同組合連合会理事長(01年5月まで)。
2009年6月 日本労働者協同組合連合会理事長、同センター事業団理事長(兼務)。
2012年12月 日本社会連帯機構代表理事(現在に至る)。
2017年6月 日本労働者協同組合連合会理事長退任。名誉理事、労働者協同組合センター事業団特別相談役。
(未編集)
協同総合研究所
編集人:飯島信吾 ブログ:ある編集者のブログ 企画・制作 インターネット事業団 UP 2025年05月30日 更新 2025年06月05日 更新 2025年06月20日 |
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