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「協同労働革命」ともいえるもの!

「永戸祐三のページ」へようこそ。(対談・インタビューなど)

information新着情報





2025年05月30日(最新刊)
「協同労働がつくる新しい社会―自ら事業を起こし、働き、地域を動かす」
(永戸祐三著、旬報社、2025年6月、四六判上製。定価2200円(税込み))
2025年07月07日
労働者協同組合法第1条の真意を応答した「対談」――❖労働者協同組合法と労協運動の展望 
衆議院法制局 奥 克彦さん 
労協連名誉理事 永戸祐三さん(「日本労協新聞」2022年4月23日号より)   
2025年06月25日
各界の著名な方々と「労働とは」と問い、「社会変革・社会連帯」、「協同」、「地域づくり」をめぐって、対談を行っています。――❖ノーベル経済学賞の受賞者との対談
◇アマルティア・セン教授との会見写真集
アマーティア・セン教授インタビュー
(99年10月17日、ケンブリッジ大学・トリニティー・カレッジ学長室)
◇セン教授への事前質問文書――お聞きしたいこと、およびインタビューに関連するお願い(1999年10月12日)



 ◇全政党の共同提案で、2020年末の国会で「労働者協同組合法」が成立した。

▽労働者協同組合法
第一条 この法律は、各人が生活との調和を保ちつつその意欲及び能力に応じて就労する機会が必ずしも十分に確保されていない現状等を踏まえ、組合員が出資し、それぞれの意見を反映して組合の事業が行われ、及び組合員自らが事業に従事することを基本原理とする組織に関し、設立、管理その他必要な事項を定めること等により、多様な就労の機会を創出することを促進するとともに、当該組織を通じて地域における多様な需要に応じた事業が行われることを促進し、もって持続可能で活力ある地域社会の実現に資することを目的とする。

◇厚生労働省のサイト案内 労働者協同組合法








2025.07.07





旬報社
@junposha
6月6日
昨日、永戸祐三(著)『協同労働がつくる新しい社会』販促会議で日本労働者協同組合連合会事務所にお邪魔しました!
労協法第1条の書が圧巻……すごい大作でした。
本書「あとがき」によると労協センター事業団の須賀さんという方が書いたものだそうです。



労働者協同組合法第1条の真意を応答した「対談」

▽労働者協同組合法と労協運動の展望 
 衆議院法制局 奥 克彦さん 
 労協連名誉理事 永戸祐三さん 
(2023年4月23日、出所:(「日本労協新聞」2023年4月5日号


「労働者」とは、「労働ー働く」とは
労働と協同と地域を結ぶのが
労働者協同組合と法が

「黎明期の組合」をどう後押しするか
「社会連帯ワーカーズ」で
支え合う形で始めるのも

労働者協同組合における「労働者」の意味は
「労働法におけるそれとは異なる」との説明あり得る

「道徳―宇宙の道への敬意」とは
「贈与の原理」に基づく働き方を活かす普遍的規範


  


(上をクリックしてPDFでお読みください)











2025.06.25





アマルティア・セン教授との会見写真集


アマルティア・セン教授(1) アマルティア・セン教授(2)
セン教授と永戸祐三・日本労協連理事長(左) 永戸さんと中川雄一郎・協同総研理事長(左)
ケンブリッジ大学構内、学長室に向かう永戸さん ケンブリッジ大学構内の中庭にて、中川さん
トリニティカッレジ入口にて、永戸・中川さん 同じ場所にて、左から菅野・永戸・中川さん

出所:協同総研研究所のHP





▽2021.08.19
アマーティア・セン教授インタビュー
(99年10月17日、ケンブリッジ大学・トリニティー・カレッジ学長室)
出所:協同総研研究所のHP

永戸 私たちは教授の論文等に非常に心引かれてきました。94年の岩波の『世界』という雑誌で、一橋大学の都留重人先生の論文が、セン教授のことを紹介されて、その時以来、先生の書かれていることに興味を覚え始めました。私たちは労働者協同組合をやりだして、労働の人間化と地域の人間的再生――新しい福祉社会の創造という大きな目標を掲げたときに、先生の深いお話をお聞きしたかったので、今回、お願いしたわけです。

セン 労働者協同組合、協同組合の運動そのものは、世界の中で非常に強い動きになっていまして、大変重要な運動だと思っています。とくに日本における協同組合の運動は非常に強くて、そういう意味でも今回、永戸さん、菅野さん、中川先生にお会いできることを非常に楽しみにしていました。

永戸 最近日本でも、失業が増えてきていて、路上生活者等も増えてくる状況にあるわけですけれども、私たちが失業のない社会、経済をどうつくったらいいかということと、働いている人や市民が自らの可能性を広げることを含めて、社会の主体者になっていくような、そういう経済学が必要になっていると、強く思ってきました。ご存知のように日本経済においても市場経済の暴走、バブル経済の後遺症と失業問題が一つになって、かなり長期的な様相で混迷を深めています。

セン もちろん、日本における失業の増大ということを考慮されていることは、時宜に適ったことです。日本におけるこれまでの失業率の相対的な低さ、そしてまた現在のヨーロッパと比較してもまだ低いという状態を鑑みても、近年の相対的な増加は大変な問題であることは確かです。その解決策として、労働者協同組合を提示されていることは、画期的であり、適切であると考えています。なぜならそれは、二つの重要な要素である、労働と協同を組み合わせた概念であって、労働者の連帯、労働=雇用を得ていく作業と、協同――競争ではなく協同という概念を導入しているということは、非常に高く評価できます。


永戸 日本でも世界と同様、完全雇用の達成という目標があったときの労働者や労働組合ないしは市民の希望は、自らがただ要求することによって適えるのは政府であり、資本家であり経営者である。そこに向かって自分たちの要求を実現するように運動するということがすべてだったわけです。しかし、最近のいちばん象徴的な事件でいえば、阪神大震災で市民の生活がずたずたにされ、雇用の場も失われ、その際に、この機とばかり、流通産業等では首切りが同時的にやられて、生活が破綻する人たちがたくさん増えたわけですけれども、政府も公的資金で市民の生活を建て直すということには非常に消極的だった。企業も雇用責任をとるということでは、ほとんど役割を果たさなかった。こうした場合、労働者・市民が自ら仕事の場をつくりあげるというような、事業経営能力をどうしても持たなければならないということが、日本でもますますはっきりしてきたのではないか、と思っております。

セン おっしゃるようなこれまでの労働者・市民の**ですとか、**の力ですとか、そこにおける労働者協同組合の理由付けは、非常によく分かるのですが、ここで強調したいのは、いくつかの社会の諸組織――政府、企業、資本家といった労働者と並ぶ社会の諸組織の役割、ないしは義務が、それぞれ組み合わさった形で見ていかなければならないのではないか、ということです。政府は、国家ないしは地域の経済の総体を見ながら、同時にミクロの部分における様々な諸政策――雇用政策等の活動を行っていかなければならないわけですし、企業においても雇用の側面を重視したときに、処すべき義務はあるだろう。最も伝統的な日本の価値――雇用に対する価値、社会、経済に対する価値というものから見れば、それぞれの社会の諸組織の関係性というものは大切にされてきたわけで、そうした歴史的なコンセプトがとても大切なのですが、その中で政府だけが雇用の問題に対処するのでなくて、労働者の側からも自立的なアプローチをやっていかなければならない。労働組合等がそういった**をしていかなければならない。日本労働者協同組合の戦略、やり方というものは、そういう意味では、とてもプロセスに貢献するものでしょう。ただ繰り返しになりますが、ここで重要なことは、それぞれの異なった組織は、それぞれの異なった責任を持つわけで、その責任を十分に認識した上で、明確な総合関係をつくらなければならない――労働組合、労働者協同組合、政府、企業といった組織が、それぞれ全体として、雇用なら雇用の問題を解決していくという、有機的な関係になっていかなければならない、というふうに思います。

永戸 日本では労働者協同組合は制度として成立していないので、法律をつくって制度化するということを各政党にお願いして、この1~2年の間に何とかしようというふうに考えています。そのこととも関わって、とりわけ日本では労働と協同というテーマで協同ということを考えた場合、労働者協同組合の今度の法案では、労働者協同組合は「協同労働のための協同組合である」という定義づけをしているわけですが、これは雇用労働だけで労働=仕事の問題を解決できないとなった場合、「協同労働」というような概念が、社会の中に定着する可能性を、先生から見られると、どうお考えでしょうか。

セン この点に関して3点述べたいと思います。

一つは、確かに労働者協同組合という形で経済を再構成するという考え方は、とても魅力的ではあるのですが、これはあくまでも付加的なものである、というふうに考えるべきです。これが現在の賃労働に完全にとって代わるものと考えるのは、危険であり、そうしたことを考えるのは、非常に楽天的であり、非生産的でしょう。この協同労働という考え方は、現在の経済システムの中における補完的なものとして認識することが、最も大切であり、賃労働が行わないことを行っていくための枠組みだと考えるのが、最も適切であろうと考えます。

第2点ですが、現在、労働者協同組合というものが、法的に確立した概念ではないとしても、歴史的な日本の経済発展のあり方を見れば、日本における労働者の協同関係というものは今までにも存在したでしょう。これまで20年来、日本における経済システムということで様々な人びと――たとえばロナルド・ドーアですとか森嶋通夫、青木さん、池上さんといった方々が、様々な側面――とくに協調的な側面に光を当てて分析したものがあります。たしかにこれは、ある意味では特殊な視点だったのかも知れませんが、しかしその中にも、若干の真実はあるでしょう。そういうことに鑑みて、日本の就労システムのこれまでを考えれば、それは、当然、英米型の経済システムとは違う、何らかの社会の中における労働者の協同ネットワークというものがあった関係だというふうに考えています。したがって、確かに法的な概念として労働者協同組合という考え方は新しいものではあると思いますが、これは歴史と伝統から離れたものではありません。

第3点は、これと類似したことなのですが、日本、とくに明治の後期から行ってきた教育の側面――教育基盤の形成というものが、ここでは大きなポイントを占めるでしょう。とくに学校教育を通じて様々な教育基盤の形成と人材開発を行ってきたことは着目すべき点であり、これは労働者協同組合をつくりあげていく上で不可欠の存在です。労働者協同組合は、高い教育水準を持った知的な労働者が協同するということが前提になるわけで、そういう意味では、初期の資本主義における無知な労働者が経営者の言いなりになるといった状態の中では形成されないでしょう。そういう意味でまた、日本の伝統の中にこういう教育に対する基盤があるということが、重要なポイントであって、そういう意味でも労働者協同組合という考え方は、これまでの日本のあり方とそれほどかけ離れたものではないと認識しています。



永戸 日本の社会の変容というか、これからどう変わっていくかということと、この協同労働ということをテーマにしたいのですけれども。一方ではこれまでの重厚長大型の産業でのリストラ――産業的な縮小が非常に具体的に進んでいることと、もう一方で、これは政府も認めていることですけれども、雇用創出をできる場面が環境ですとか、教育とか、情報関係とか福祉――とりわけ福祉の分野で仕事が増える。これは高齢者社会が日本で急速に訪れているということもあって、こうしたことが共通の認識の基盤になっているのですけれども、私たちの労働者協同組合が、基盤的にいえば、こういった面から一定の成果を収められるかなと思っています。

それと公的介護保険制度が始まります。この分野ではNPOとか協同組合組織が非常に頑張れるところで、とくにこの法律が市民の制度への参加ということと、地域分権的な介護のシステムをつくることを目標にしています。こういうところに生まれる労働の関係は、私たちは協同労働ではないのか――そのことによって、コミュニティの再生とということを日本はとりわけ重視してやらないと、だめではないか。

もう少し分け入って考えてみると、これまで日本では老人の介護は、女性たちが85%担っていた。しかも長男の嫁が主に担ってきたことによって、女性たちの社会進出を大きく阻害してきた。これを家族介護から解放して、社会的介護にしようという今度の介護保険制度が、日本全体に非常に大きなものをもたらしていくだろう、というふうに私たちは推定していまして、この面でも労働者協同組合のような、先生の言われた教育の基盤の高さを日本人がもう一回思い起こすことが大事ではないか、と強く思いました。

セン 確かに歴史の問題を語るに当たって、歴史のある部分に関しては、そこから教訓を学び、ある部分に関してはそこを乗り越えていくということが必要なことは当然です。そういう意味でおっしゃっていることはよく分かります。

ただ、19世紀の終わりから20世紀にかけての日本の経済的な成長を見ていると、一つ重要なことは、日本の社会は市場経済という制度を英米のようには信じてこなかったにあるでしょう。日本は市場経済というものだけが**の中心にあるようには考えずに、同時に国家ですとか、社会ですとか、法的な制度ですとか、教育ですとか、そういった公的なものも含めて、市場という制度と並立をさせて考えるやり方をしてきた。これについては、マクロ的な意味で非常に大きな重要なポイントでありましょう。

近年の日本の経済的な問題、企業界における様々な問題を考えるに当たっては、そうした考え方――つまり市場を唯一の制度と見ないという考え方が悪く出た側面もあります。その意味で確かに、市場の中で金融制度を確立していくために新たな制度をつくるという考え方が出てくるのは当然ですが、同時に過去から切り離さないで、その上に立っていくべきものもあるでしょう。そうした、今まで日本が市場を信じてこなかったというところに重点を置いて考えて歴史に学ぶ**。

 先ほどの話を今の永戸さんがおっしゃったコンテキストに合わせてみると、こういうことが言えると思います。つまり、かつての古いシステムである老人を介護するという考え方、やり方は、日本における社会のあり方の評価を見定めていく、一つの例を示すと考えられます。ここで4つのポイントについて考えてみたい。

1つは嫁が介護をするということは、ジェンダーの不平等が表に出てきている問題であり、嫁が家庭内で無償労働でこき使われている状況があります。これは明らかにジェンダーの不平等に関わっているものであり、これは近代社会が持っている負の遺産であって、そこは乗り越えなければならないものです。

2番目に、年功序列、年長者優先の仕組みがある。老齢者の方が強い発言権を持っていて、そうした社会の構造の中で若い人たちは自らの主体的行為を行うことができない。そういう意味で年長者優先の仕組みに基づいたこのシステムは変えていかなければならない、と言えます。

ただし、次に挙げる3番と4番の要素に関しては、否定的な側面ではなく肯定的な側面で、この嫁が老人を介護するという考え方を評価できるでしょう。

すなわち、3番目に、この家族を通じて嫁が老人を助けるというのは、社会に確立された、助けを必要としている人を助けていくという仕組みであることを認めることです。つまり、介護を必要とする老人が存在していて、そこに嫁が介護を提供するという部分では、ヒューマニティーというのでしょうか、人間性というものがそこで発揮されているわけです。確かにそれが先ほど挙げた二つの側面はありながらも、ただそこに人間性があるということは、疑いのないことです。西側の社会のシステムから考えると、とくにその点が強調されるべきでしょう。おおむね欧米の社会においては、老人が自ら貯えを持ち、自らが独力で生活をしていくということが普通であって、老人が一人で生活していかなければならない環境があるということは、日本と比べれば、否定的なものでしょう。そういう考え方からすれば、日本の人間性の発揮による嫁の介護というのは、肯定的なものとしてとらえることができます。

4番目に、嫁が老人の介護をするという関係は、市場を通さない人間と人間の関係であるということに着目すべきです。つまり、家族という既存の社会制度を通じてではありますが、それを通じて、賃労働関係ではない人間関係がそこには成立している。当然そこには、愛情とか家族の情愛というものが組み込まれているわけで、それはお金では測れないものとして認識されているわけです。このマーケットを通じていないという考え方は、労働者協同組合の考え方に通じるものでしょう。労働者協同組合も広い意味では、社会全体が家族であるというような捕らえ方をしているわけです。そういう意味では、嫁が老人の介護をするという考え方は、全面的に否定されるべきものではない部分も含まれているはずです。そうした社会の様々な制度を分析する際に、その肯定的な側面と否定的な側面を両方きちんと冷静に分けた上で議論をすることが、かなり肝要であると、強く考えます。


永戸 日本では完全雇用という言葉もほとんど消え去った言葉になっていて、労働組合でも政府でも言わなくなっていますが、そうかといって失業を放置するわけにはいかない。しかもその経済のあり方が変わってきている折りに、先生の言われた、日本は市場経済を絶対のものとして来なかった、必要な公共政策が存在し、いろいろなものが組み合わされて今まで良好な状態をつくってきた、というご指摘だったように思います。今のような状態になったとき、それから先ほどの高齢者の問題ですね。家族が介護を必要とする人を手助けすることの良い面をほんとうに伸ばそうとすると、公的介護保険制度で介護を社会化するとともに、完全雇用の問題でもそうですけれども、公共政策が持たなければならない最大のポイントは何かということをご質問したいのですが。

セン 雇用の問題に関していうと、ヨーロッパの経験からいえば、大切なのは創造的な出発点を持つことです。ヨーロッパの失業問題は大変な問題であったのですが、そこで大切だったのは、労働者と資本家、ないしは労働者と経営者の関係を、がっちりしたものではなく、フレキシブルにとらえていという考え方からスタートしたことが、非常に大きかったでしょう。雇用者は労働組合等に対してもっとフレキシブルになるようにという要請はありますし、経営者の方も、もっとフレキシブルに対応しなければならない。そういう点で協同組合というのは、その両者壁を壊して対話を広げるという可能性を持っているという意味で、重要な役割を担っているでしょう。

第2に、大切なのは、経営者が今まで持っていた賃金レートによって、賃金の決め方、労働者と経営者の対立関係を維持していると、雇用の問題は永遠に解決されないでしょう。その意味では両者の関係を変えていく役割として労働者協同組合がありうるでしょう。

3番目に高齢者の問題なのですが、ここで重要なポイントとして、高齢者をただの福祉の消費者として考えるのではなく、もっと広い役割を与えることを考える方が良いでしょう。その点について2点あります。

第1点は、多くの人が寿命が伸びていくと、高齢者社会がやってくるわけですが、ただ老齢になったからといって、働けないというわけではない。働く能力があり、働く意志がある人たちをどういう形で**っていくのかということに関して、労働者協同組合の役割があるでしょう。とくに老人が定年後も働くということで生きがいを持ち、そして同時に収入も得るということを考えると、高齢者はただの福祉の消費者ではなく、生産者でもある――そう考えるべきです。

第2点は、高齢者を社会のもっと大きなコンテキストの中で、諸保険ですとか、**ですとか、年金の問題ですとかを捉えていって、高齢者を社会の対話の場に導き出すことも、労働者協同組合の役割でしょう。社会というものは、様々なアイデンティティを持った、様々なグループによって構成される――それらのグループが協同ということによって初めて成り立つものであって、高齢者は高齢者であり、かつ労働者でもあり、かつ市民でもある。そういう関係の中で、男性と女性だとか、雇用されている人と失業者ですとか、そういった社会の様々なグループを対話の場に導き出すのも労働者協同組合の仕事であろうと思います。

また大きな主題(?)の繰り返しになりますが、結局言いたいことは、ただ労働者の間の協同というだけではなくて、広い意味での経済全体の協同というレベルでものを考えることによって、さらに労働者協同組合の役割というものの創造性が広がっていくのではないか、というふうに考えます。

永戸 ありがとうございました。






▽セン教授への事前質問文書――お聞きしたいこと、およびインタビューに関連するお願い
(99年10月12日、出所:協同総研研究所のHP


敬愛するアマルティア・セン教授


      日本労働者協同組合連合会 理事長 永戸祐三

 このたびは、超ご多忙の中、またお休みの日に、私たちのインタビューにお時間を割いていただき、心から感激し感謝しております。

 すでに私たちの機関紙『日本労協新聞』の松沢編集長のお願いでも申し上げましたように、私たちは、日本において「労働者協同組合」および「高齢者協同組合」の運動に取り組んでいる者です。

 今回、すでにお願いしていますように、理事長の永戸と副理事長の菅野がお邪魔しますが、加えて、私たちの研究所であります「協同総合研究所」の中川雄一郎理事長(明治大学教授)が、17日に共にインタビュアーとして参加させていただきます。ご了承下さい。通訳は、かつて国連職員としても働き、現在サセックス大学大学院で学んでいる鈴木和人氏にお願いしています。計4人でうかがいますので、よろしくお願いいたします。

Ⅰ 日本の経済社会の現状と私たちの活動

 教授もご承知のことと存じますが、日本は戦後、民間大企業の成長を最優先して進んでまいりました。

 しかし日本資本主義を押し上げてきた大量生産・大量消費・大量廃棄・短サイクルの経済と、その後の投機的経済が破綻する中で、長期の不況が進行しています。この中で抵抗らしい抵抗もなく、「リストラ」という名の首切りが強行され、戦後最悪の失業状況が発生し、自殺者も増大しています。小渕内閣は、「この程度の失業は経済再生の過程におけるやむえない現象だ」と公言して、何らの有効な雇用対策をとらないどころか、企業のリストラを促進する政策を優先しています。「市場経済における自己責任」を楯に、阪神大震災の被災者に対する生活支援を拒否する一方で、銀行やゼネコン等の企業救済には何十兆円もの公金が注ぎ込まれています。

 何よりも、人間の孤立が深まり、コミュニティが著しく衰退していることです。このために、高齢者が人間関係や役割を失い、「寝たきり」「痴呆」が生み出される一方、自分の生き方・働き方を見出せない若者が増大しています。

 私たちは、このような日本の現実の中から、労働者協同組合と高齢者協同組合に取り組んで参りました。労働者協同組合は、最初は失業者の仕事確保の取組みから生まれました。「働く意志と能力のある者に、生活保護でなく、働く機会を」求めて、働く者自身が「まちづくりに役立つよい仕事」をおこす運動でした。この過程で働く者が自ら出資し、経営し、就労機会を連帯して創造する「労働者協同組合」の方向を明確にするとともに、「人と地域に役立つ」労働の質を掘り下げ、「協同労働」という概念を確立することができました。そして望むすべての人が「協同労働」を選択できるように「労働者協同組合法案」を自ら作成し、深刻な失業情勢の中で、その制定を求めて運動しています。

 他方の「高齢者協同組合」は、高齢者自身がそれを支える人びとと共に組合員となって、「ケア・仕事・生きがい(well-being)」を自ら実現していく、新しい協同組合として広がっています。

Ⅱ セン教授の著作から私たちが学び、感銘を受けたこと

 そうした中で、イタリアのレガ・コープにおけるセン教授の講演「協同とグローバルな倫理」に触れ、教授の理論と研究が私たちの実践に大きな示唆と励ましを与えてくれるものであることを実感しました。そして『不平等の再検討』や、ILOの論文をはじめとする教授の著作や、NHKテレビ、「東京新聞」のインタビュー、日本におけるセン教授の理論についての研究とコメントを学ぶ中で、その感をいっそう強めました。私たちがそれらからとくに学び、感銘を受けた点は、次のようです。

 何よりも、教授が「協同の原理」に高い位置づけを与えられていることです。これに関わって、次の点を私たちは重く受け止めました。

 第一に、人間は、単に自己利益や効用の最大化だけを求める「合理的な愚か者」ではなく、「共感」と「コミットメント」をもち、相互依存を通じて自由を実現していく存在である、という人間観です。

 第二に、人間の潜在能力の発展と、「個人の多様性が全面的に開花し、個人と個人が豊かに結びつく社会」の実現こそ経済発展の目標でなければならないという、経済・社会観です。

 第三に、(私的な)所有や交換は、「すべての人びとが消費・生産・浩瀚に経済的資源を利用できる」「経済的受益権」をはじめとする、「エンタイトルメント」の下に置かれるべきものである、という公共介入の積極的な意義づけです。

 第四に、人びとが公開の対話や議論を通じて、価値観や規範を創造し、政府と一面で対抗し一面で協力する「公共活動」の主体となっていく、という「参加民主主義」の重視です。

 第五に、偏狭な「国民的特殊主義」を超える、「グローバルな団結、世界市民の感性」に立脚した「偉大な普遍主義」を高らかに唱っておられることです。

 次に、ILOの雑誌で、教授が失業の害悪(penalties)を鋭く指摘され、就労機会を保障し人びとの自立を支援する公共政策の意義を強調されていることです。そして、「高齢者の引退年齢の引き上げ」を、雇用問題の解決と対立させるのではなく、同時的に解決すべき課題として提起されていることです。

 最後に、「職人的生産」や「質の重視」、州との連携や広域的連帯を内容とする、エミリア・ロマーニャ州の協同組合運動を高く評価されていることです。私たち日本の労働者協同組合運動にとっても、イタリア、とりわけエミリア・ロマーニャの協同組合運動は、大きな励ましであり学びの宝庫でした。教授の「潜在能力」アプローチが、現代の協同組合運動に直結した形で展開されていることに、私たちは強い感動と期待を覚えています。

Ⅲ セン教授にお聞きしたい点

 そうしたことを前提に、10月17日には、次の点を中心にお聞きしたいと思っております。

1.大量失業を克服するためには、どのような理論と政策が求められているのでしょうか。

 私見では、労働力を排除しはじめた大量生産分野や、投機的分野から、ケア、食糧、環境、教育・文化など、「コミュニティの持続可能な発展」を支える分野に労働力を社会的に再配置する必要が生じているように思われます。

――今後の企業の質、企業における民主主義、企業の社会的責任はどのように進化すべきでしょうか。その中で労働者協同組合についてどう評価されるでしょうか。

――産業構造や経済発展のあり方を含む経済政策と、労働政策がどのようにリンクすべきでしょうか。

2.すべての高齢者(障害者)が生き生きと暮らすためには、高齢者(障害者)をどのようにとらえ、どのような市民の活動と公共政策を発展させるべきでしょうか。

 産業社会では、高齢者(障害者)は、非効率な「お荷物」扱いされてきました。教授は、「栄養」「衣料や住居」「保健医療ケア」から「コミュニティ生活への参加」を「潜在能力」の重要な中味に含められています。彼らが「エンパワーメント」され真に「ノーマライゼーション」を達成するには、

――高齢者(障害者)観をどのように転換し

――高齢者自身と彼らをとりまく市民の活動をどう発展させ

――国や自治体はどのような公共政策を採用すべきでしょうか。

3.冷戦の終了後、かえって民族間の凄惨な対立が強まっています。偏狭な「国民的特殊主義」を克服し、「普遍主義」の立場から、平和と全人類的な連帯をつくりだすには、どうしたらいいのでしょうか。

4.教授は、「協同の原理」を高く評価されています。その内容と、契機、アプローチについてお教え下さい。(人間観、めざすべき経済社会像、参加型民主主義と人間発達、企業・セクター的特質など)

5. 21世紀の人類社会を切り開くような協同組合運動とは、どのようなものであるべきだとお考えでしょうか。ICAの「レイドロウ報告」や、エミリア・ロマーニャの協同組合運動研究と関わらせて、お教え下さい。

6.人間の潜在能力の欠如=貧困が最も強く現れている分野として、労働の疎外があるように思われます。労働を社会的に有用で働き甲斐ある、真に人間的な営みに変革していく上で、「雇用労働」のあり方を変革するとともに、「協同労働」の領域を確立することが求められていると、私たちは考えますが、これらの点について教授のお考えをお聞かせいただければ、幸いです。

Ⅳ インタビューに関連してお願いしたい点

1.このインタビューの要旨を、日本の『エコノミスト』(毎日新聞社)に掲載することをお許し下さい。原稿については、もちろん、事前にチェックをしていただきます。

2.①このインタビューの詳しい内容と、②日本の研究者のコメント、③セン教授の協同や失業問題に関する論文・講演などの三部構成で出版をできればと考えています。――出版をお許し頂けますでしょうか。その場合の条件はどうしたらいいでしょうか。

――私どもが翻訳・出版できる、教授の論文、講演、関連資料(レガでの教授の講演をめぐるものなど)を御示唆下さい。





2025.05.30


2025.05.30

◇労働とは何か?! 労働が資本を雇うとは何か?!


中学生の萌芽期から、全学連運動、事業団運動、協同労働運動という歩みの中で、働く者の自立性、主体性、主人公性を追求してきた永戸祐三。その格闘の軌跡とこれからを語る。

資本主義企業―「雇用労働、従属労働」万能ともいえる社会にあって、労協―「協同労働」という世界を生み出し、法的存在にまで高めてきた私たちの運動は、本当に「地べたからの、労働の原点からの革命」「協同労働革命」ともいえるものであり、「従属労働」の中にいる労働者にも、主体者への道を呼びかける力を持ち、人類存亡の危機をもたらしている「もうけ本位の資本主義体制」を転換する運動にもつながっている。(「はじめに」より)


◎著者
永戸祐三(ながとゆうぞう)
1947年 京都府竹野郡下宇川村袖志で生まれる
1968年 中央大学夜間部法学部入学、69年夜間部学生自治会委員長
1973年 全学連(全日本学生自治会総連合)委員長
1982年 中高年雇用・福祉事業団全国協議会事務局長
1995年 労働者協同組合連合会理事長(2009年2度目)
2012年 日本社会連帯機構代表理事










🔶はじめに 目次










(上をクリックしてPDFでお読みください)



🔶経歴 奥付


❖あとがき

 
   
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contents

永戸祐三のページ

 
  Yuuzou Nagato
 
▽埼玉県越谷市在住


[略歴] 永戸祐三(ながと ゆうぞう)
1947年8月23日 京都府竹野郡下宇川村袖志(現在、京丹後市丹後町袖志)で生まれる。
1954年4月 下宇川小学校入学。
1960年4月 丹後町立下宇川中学入学、憲法の全文を覚える。勧誘された野球部を断念、音楽部入部、「海の日」に三人で“ストライキ”、二年で生徒会長。
1963年4月 京都府峰山高校入学、下宿生活(休日は農作業)。二年時、「生徒諸費」値上げ、一括払い強制に反対し、生徒総会、ストライキ一歩手前。
1966年 日動火災海上保険会長から養子の話。
1968年 中央大学夜間部法学部入学。自治委員、法学部全体中執、12月「常置委員会」撤廃闘争で全学ストライキ。
1972年 全学連(全日本学生自治会連合)中央執行委員、7月全学連副委員、73年3月全学連委員長代行、7月全学連委員長、11月日本共産党第12回大会で挨拶。74年7月全学連委員長退任。
1975年4月 稔理府労働組合連合会書記。
1977年1月 全日本自由労働組合本部書記。1981年10月全日本自由労働組合中央執行委員。
1982年3月 中高年雇用・福祉事業団全国協議会事務局長。
1987年12月 中高年雇用・福祉事業団(労働者協同組合)全国連合会センター事業団専務。
1995年5月 日本労働者協同組合連合会理事長(01年5月まで)。
2009年6月 日本労働者協同組合連合会理事長、同センター事業団理事長(兼務)。
2012年12月 日本社会連帯機構代表理事(現在に至る)。
2017年6月 日本労働者協同組合連合会理事長退任。名誉理事、労働者協同組合センター事業団特別相談役。


(未編集)





協同総合研究所






現代労働組合研究会のHP
  
 








 
編集人:飯島信吾
ブログ:ある編集者のブログ
企画・制作 インターネット事業団


UP 2025年05月30日 
更新 2025年06月05日
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更新 2025年06月25日
更新 2025年07月07日